オープンソースに学ぶべきこと

2008年1月2日(Wednesday) 02:32am
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オープンソース・ムーブメントは重要な潮流だと思う。
フリーソフトウェアから生まれ、Web2.0ブームを派生した。

オープンソースがフリーソフトウェアにつけ加えたのは、インターネットをディープに活用した大人数開発モデルである。
その生態系の違いは『伽藍とバザール』(和訳)と評された。

“伽藍”と”バザール”の間には、ひとつの重要な発想転換があった。
課題を発見する人、解決法を考案する人、コードを実装する人、成果をレビューする人はそれぞれバラバラで良い、ということだ。

オープンソースがグローバルな問題を解決するかもしれない

元世界銀行副総裁のJ.F.リシャールは、このようなオープンソースの手法を政治に応用できるのではないか、と考えた。
問題はグローバル化ではないのだよ、愚か者』という本にその具体論が描かれている。

いま僕らが抱えている危機は地球レベルのものであって、各国政府とその寄り合いでは全く解決できないという問題意識は結構知られているが、その解決法はオープンソースのアプローチだという。
政府、市民組織、企業の3つのセクターから課題ごとの専門性をもった人材を集めファシリテーターにつける。
ファシリテーターは適切な初期メンバーを選抜し、プロジェクトをオープンな場で稼動する。

ファシリテーターとしては、開かれた議論のできるスペースを設定、修正し、必要なら何年にもわたって努力するという、インターネットの世界で「オープンソース・プロジェクト」と言われるものの中核と同じ機能を果たすことになるだろう。

この本では、開かれたネットワークでおおまかなコンセンサスを形成することを重視している。
閉鎖的な専門組織が解決できずに積み残してきた主要な地球規模の危機が20あり、その解決には全く新たな手法が求められている。
ソフトウェア開発と同様に、ある課題(ソフトでいえばバグや機能要望)に対する意欲と専門性を持った人材を世界中から集めることが解決へのカギとなる。

オープンソースは非競合財に対する優位な手法ではないか

オープンソースのバザール方式はソフトウェア分野ではLinuxだけでなくApache、MySQLなどの成功例が続いたことで既に確固たるモデルとなった。
また、政治への応用可能性についても先ほど書いたとおり実現されれば大きなブレークスルーに結びつく可能性を秘めている。

ここで飛躍して考えてみる。
オープンソースのアプローチは非競合財一般における競争優位な手法なのではないか?
非競合財についてはアルビン=トフラーが『富の未来』で詳しく検討している。

急速に増殖している無形資産は事実上、無限に供給されうるのだ。この事実だけでも、資本主義は喉元に匕首を突きつけられている。
供給に限度があることが、資本主義経済学のまさに核心である。

要するに無形資産のように何人使っても減らない財は、従来の財と全く競争ルールが異なる。
ソフトウェア、アイディア、コンテンツなどは非競合財であり、資本主義の常識と異なるルールで形成されたものがより優位である可能性がある。

僕はオープンソース・ソフトウェアによる商用ソフトウェア市場の切り崩しのような現象が、他の非競合財の領域でも広く起こるのではないかと考えている。
もしこの見方が正しければ「非競合財の分野では資本主義経済の考え方を捨てて徹底的にオープンなアプローチを採るべき」ということになる。

日本を忘れる

オープンスタンダードに乗ることを考えた時点で日本というローカルな発想は捨てるべきなのだが、蛇足的に日本の状況も再解釈してみる。

Linuxが”バザール方式”で急速に品質向上していた90年代末、日本では”言い出しっぺの法則”と呼ばれる共通観念があった。
いまでも残っているかもしれない。
これは、あるアイディアを思い付いた人が実装まで手がけた方が良いというもので、結果的には”伽藍”寄りなのだと思う。

言い出しっぺの法則がなんとなく支持された背景には”日本語圏の狭さ”というやむを得ない事情があったように感じる。
「日本のオープンソースプロジェクトはfork()(分岐)しまくり」という批判もおそらく同根で、要するに日本語圏自体がfork()していて人が足りないということではないかと思う。
この点については、オープンソースの分野に限らず、少子化が進むにつれてあらゆる分野で問題が顕在化してくると思う。

この問題に対する解決はシンプルで「徹底的にグローバルな解に乗る」ということに尽きる。
オープンソースの要点は「なるべく1本のソースをみんなで改良」という点にある。
1テーマにソースが1本(kernelはLinux、HTTPサーバはApache、など)なら開発者が集約できるからバザールで分業できるし、誰かに”言い出しっぺ”と押しつける必要もなくなる。

日本を忘れて世界規模で活動することが結局は日本のためになるのだ、ということが日本人にとってのオープンソースの教訓であるように思う。

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