自作パソコンとは何だったのか?

2008年8月1日(Friday) 11:54pm
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2001年頃に組んだPCをパソコンリサイクルに出してきた。7年使ったのか。
AMD Duron 700MHzは2001年当時でも型落ち気味のスペックだったが、捨てた理由は「遅いから」ではなく「熱暴走するから」だった。

近々、新しいPCを買おうと思っている。
でももう自作はしないだろう。また不良品を作ってしまいそうだからだ。
けっきょく自作PCとは何だったのか?

2000年頃に自作は流行っていた

あの当時、自作PCはたしかに流行っていた。
思えばちょうどPCパーツの価格ががんがん下がっていたときだったと思う。
CPUではAMDがAthlonで伸びはじめたことでIntelとの競争が激化してたし、メモリもやたらだぶついていて非常に安かった記憶がある。

個別パーツの値段は覚えていないが、安いパーツをかきあつめてマザーボード・HDDが1万円超、CPU・メモリ・グラフィックボード・ケースが各数千円で、その他含めて5万円前後で作れたはずだ。

一方、メーカー製パソコンも値下がりトレンドの最中ではあったが、ディスプレイ付き20万円という相場だったように思う。

とにかく当時、自作PCには”安い”という明確なメリットがあった。
僕はそれまでPentium 133MHzのノートPCを使っていたから、やっと一般的な性能のPCが手に入って「いい買い物したね」という感じだった。

いまとなっては”作りたい”以外の積極的理由がない

その後、メーカー製のPCが自作PCにさや寄せするかたちで市場全体で値下がりが続いた。

まず半導体プロセスの進化などで主要パーツの高性能化、価格低下が進んだ。HDDもチキンレースのような叩き合いの結果、メーカーに儲けが残らないほど値段が下がっている。

ソフトウェアの価格はMicrosoftの独占が続いた都合上ほとんど変化がなったから、PCの値段が下がっていく過程で「Microsoftが高かったのか!」とみんなが気づいた。
その余波でOfficeソフトのバンドルがなくなった。いまでこそOfficeはBTOのオプションで追加のカネを払うものという認識が定着したもの、90年代末までのパソコンは基本的に”MS Officeモデル”と”一太郎モデル”の2択だった。
「一太郎じゃ困るからMS Officeを買うよ」というのが一般的だったわけだ。

また、Dellが大きく成長したことで、他メーカーにも火がつき生産プロセスが合理化された。
こうして全体的にマージンが剥げ落ちたところに仕上げのAppleがやって来て、iPodの後光(ハロー効果)をしょってまさかの価格破壊をやっている。

アキバの小売店などが作って売っているパソコンをショップブランドPCというが、00年代には業界全体のショップブランド化が進んだと言える。
今年のトレンドとしては、AcerやASUS、MSIといったショップやメーカーの背後にいた台湾の部品メーカーが直接進出してきた(もっともAcerなどは欧州を中心にすでにグローバルシェアを確立していた)。

このような変遷を経て、ついにパソコンのバリューチェーンは行き着くところまで合理化され切った感がある。
そんなわけで自作の価格メリットは微々たるもので、台湾の工賃分が出るか出ないかというところだろう。

スタイリッシュな提案が欲しい

総論としては、自作パソコンとは「不要なソフトを省き、部品のデフレを時価で先どりして節約する」買い方だった。
いまはその意義は少ない。

残るニーズとしては「とにかく作りたい」という工作魂があるだろう。
これまでの自作パーツは規格大量生産品のバラ売りでしかないから、3Dゲーマーの性能追究のような差別化しかない。

しかし本来は、メーカー品では出せないクリエイティビティを発揮できるカスタム市場であるべきだろう。
ここにきてパーツの小型化が進んだから、形状の自由度が増しているはずだ。
プラモデルやSWATCHのようなものが継続的に売れるのだから、オブジェとしての自作PCというのもきっと成立する。
10年前まではコンピューターメーカーのような工場体制が必要だったが、今となっては逆にファブレスの方が強いだろう。

新たなニッチ文化として、そろそろアキバのフィギュア文化とPCパーツが融合しても良さそうだ。

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